トランセンド理論


ガルトゥング氏は、紛争当事者との対話・議論の自分の経験から、紛争解決ではなく、紛争転換という考え方を編み出しました。それは、双方の対立の妥協点を調整するのではなく、対立や矛盾から飛躍して新しい創造的な解決法を探し出すという方法なので、「超越法」 (Transcend Method) という名前になっています。

 超越法の理論によれば、紛争(対立・争い・もめごと・いさかい)には3つの要素があります。第1の要素は、紛争には当事者(パーティ)が2つ以上ある、 ということです。そして、紛争の当事者はその紛争場面にいる当事者のみならず、その周囲にも利害関係をもった当時者があることが多いのです。東ティモール の、独立問題に関する例題でも、ガルトゥング氏は東ティモールの指導者やインドネシアの指導者との関係だけでなく、アメリカ・日本・オーストラリア・ポル トガルなどとの関係でとらえることを提案していました。第2の要素は、当事者の達成しようとしているゴールを、それぞれの当事者において明らかにすること です。このゴールのくいちがいやズレによって、次に述べる対立・矛盾が起こるのです。第3の要素は、当事者の目標に対立や矛盾があるということです。この ような対立は、時として暴力による戦争に発展さえします。暴力的方法による紛争解決でなく、非暴力的・平和的方法による紛争転換をめざすことが大切です。

 この対立・矛盾をどのように考えたらよいのでしょうか。これまで、そのためにたくさんの「紛争解決法」が考えられてきました。ガルトゥング氏の超越法もその一つです。

 従来の紛争解決理論には、この2者の対立をちょうど綱引きのように紅組と白組がお互いに有利なように引っ張り合う状態から妥協点を見いだすという考え方 がありました。ガルトゥング氏の考え方はそれとは違います。ガルトゥング氏は一方の目標を横軸の右の方にあらわし、もう一方のゴールを縦軸の上の方にあら わします。そして、その横軸と縦軸からなるグラフ表面の上に5つの解決法を図で示しています(28ページ参照)。まず、第1は横軸の右側、すなわち一方の 目標だけ実現するやり方です。第2の方法は(第1の方法と同じく)縦軸の上の方の目標だけ実現するという方法です。これらはどちらも一方は満足ですが、も う一方には不満足な、さらには相手への憎しみが残る方法です。おすすめはできません。第3のやり方は、対立を対立のまま放置したり、全く関係のない人の手 にゆだねて2者の目標がどちらも実現できない場合です。これでは、2者とも不満が高まり問題解決になりません。第4の地点は2者の目標を斜めに結んだ、そ の中間点です。それは、両者の目標をそれぞれ半分づつ実現するもので、妥協とか折衷とよばれます。対立を網引きのように考える見方です。これも双方に不満 が残り次の紛争の火種が残る場合があります。第5の点は、第1・第2・第3の点を含む長方形の右上の頂点です。第5の地点を、超越法による解決点としま す。そこでは、2者の目標を乗り越えた新たな創造的な解決法となっています。このような解決法を生み出すためには、紛争当事者間の解決ではなく、第3者の 導入が必要です。この第3者として調停・仲介する人のことを、紛争ワーカー、または平和ワーカーとよびます。超越法による紛争解決は、まず対立する当事者 と平和ワーカーとが対話をおこないます。それは、20分間の場合もありますし、もっと長い場合もあります。対話は、当事者と1対1で行われます。いきなり 対立者同士を同じテーブルにつかせることはありません。対話では、その当事者がどのような目標をもっているかを聞き出します。相手の気持ちを理解し、心を ともにする、すなわち、「共感」することが大切です。しかし、「共感」は、自分も相手と同じ意見になり肩を持つこと、すなわち「同情」ではありません。

 超越法では、とくに周りから非難されている「悪者」側の目標や考えを聞き出すことに重点をおいています。たとえば、ユーゴ空爆の場合のセルビア人の考え 方、東ティモール独立問題の場合のインドネシア指導者の恐れや考えを聞き出すことが大切だといいます。対話のなかでは、さきほど述べた5つの地点をいつも 頭に浮かべることが大切です。対話をおこなうことにより、1)受容可能で、2)持続可能である、という2つの条件を見いだす解決法がないかどうかを探りあ てていくのです。双方が納得する解決法を創出することにより、紛争・対立の敵対状態を転換・変形して、当事者が一致協力できるような新たな目標に向かうよ うにするのです。

 紛争転換において、次に大切な図式は、ABCの3角形です。A(態度)は、偏見や怒り・恐れ・憎しみなどの感情など当事者の心の内面をあらわします。B (行動)は、当事者の行いであり、衝突や脅しなど暴力的な行動と、そうでない行動があります。C(矛盾・対立)は、目標の不一致から生ずる衝突や対立で す。目標がぶつかっている状態(C)が、ゆがんだ心のあり方(A)や暴力などの行動(B)の土台なのです。したがって、一見イデオロギーの対立が本質的に 見えるような場合でも、その背後にある、つまり、紛争の土台にある目標の不一致による対立(C)という原点に立ち返って、紛争に対処する必要があります。 紛争転換のための超越法で重視するのは、A(態度)における「共感」、B(行動)における「非暴力」、C(対立)における「創造性」の3つです。

 ガルトゥング氏の紛争転換のための超越法のトレーニングは、第3者として紛争当事国と対話する紛争ワーカー・平和ワーカーとして活躍できる人材を養成す るためのものです。事実、ガルトゥング氏は外交官や国連職員や国際NGOの人々など、実際に紛争を調停する役割を担う人々のトレーニングをおこなってきて います。そのためにガルトゥング氏は「TRANSCEND」という国際NGOを設立し、そこで紛争転換の各種プログラムを企画・立案・実践・訓練している のです。「TRANSCEND」には、ウェブサイト(http://www.transcend.org)があり、主な文書はすべてここで公開されていま す。

 しかし、平和ワーカーの知識と技能は、第3者の紛争を転換するためだけのものではありません。自分自身が紛争に巻き込まれたり、当事者になったりしたと きにも役立つ方法なのです。人間は自分自身と対話することができる動物です。また、対立する相手方の目標を理解し、共感することも、訓練によって上達する でしょう。

 「共感」「非暴力的方法」「創造性」という3つの能力を身につけるために、紛争転換トレーニングが有効です。ガルトゥング氏によるトレーニングが 1999年秋に、日本で3回行われました。この3回のワークショップの参加者が中心となって本研究会が発足しました