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終了報告

テーマ 「原子力平和利用三原則」の思想とその現代的意義
発表者 藤田明史
日 時 2023年10日(日)19:00-20:30

テーマ 横光利一と川端康成の作品から日本の「『敗戦』文学」を考える ――「構造」概念との関りにおいて――発表者 藤田明史日 時 2023年7月23日(日)19:00-20:30
報告者は、横光・川端の作品と並行してジャン・ピアジェ『構造主義』(Que Sais-Je? Le structuralisme, 1968)を読んでいる。ガルトゥングの構造的暴力の概念に内包されている「構造」の概念を自分なりに深く理解したいと考えるからだ。
1.構造とは何か以下、ピアジェの上記の本の末尾に置かれた著者による要約の一部の引用(訳は報告者)。「われわれが構造主義から1つの哲学を作ろうとするとき、構造主義を脅かす恒常的な危険がある。それは、操作(opération)――構造はその結果である――との繋がりを忘れると、直ちに構造のリアリティが見失われるに至るという危険である。そうではなく、何よりも先ずそして本質的に構造は変換(transformation)の束であることを思い起こす限りにおいて、客体に固有の物理的・生物的な作用素または主体により行われる操作は構造から分離・除去される。構造が表現するのは結合の法則または均衡の形式でしかなく、それらが依拠するかに見える時間的に前のまたは空間的に優位の実体ではないのだ。」これは本書全体のエッセンスといえよう。
2.「新感覚派」の旗手横光利一:1898(明治31)—1947(昭和22)、主著は『上海』(1928-1931)、『紋章』(1934)、『旅愁』(1937-1946、未完)など。川端康成:1899(明治32)—1972(昭和47)、主著は『雪国』(1935-1947)、『千羽鶴』(1949-1951)、『山の音』(1949)など、1968年にノーベル文学賞受賞。
3.加藤周一の横光利一論今日、横光利一の名が多少とも知られているのは、加藤周一『羊の歌』(1968)の「縮図」の章によるところが大きいであろう。「三〇年代の末に、第一高等学校の寄宿寮は、日本社会の縮図であった。」「とめどもなく進んでゆく軍国主義的風潮のなかで、寮の内側と外側には、大きなくいちがいが生じようとしていた。そのくいちがいは、その頃『小説の神様』といわれていた横光利一氏が第一高等学校で講演するのに及んで、爆発したのである。」講演の終了後、少数の学生との座談で激論が始まった。学生の執拗な立論に横光は激昂した。加藤は言う、「学生を相手にしてほんとうに怒ることができるほど横光氏が誠実な人であったということ、また弱点を指摘されて激怒したこと自身が、その弱点の自覚の証拠であったかもしれないということなどを、想像してみる余裕は全くなかった」と。ここから受ける印象は、小説家横光のみじめさである。横光文学への加藤の評価も低い。「その意図――非抒情的な文章、長編の構成、科学的な題材、文明論的展望――は独創的であるが、意図を実現するための手段は、貧しかった。」(『日本文学史序説』1980)しかし今日、私(報告者)は横光の作物に強く魅かれる。われわれもまた現実の困難に対し貧しい手段で立ち向かわざるを得ないからである。
4.『上海』について「満潮になると河は膨れて逆流した。」との文章で始まるこの小説は、「自然を含む外界の運動体としての海港」――1つの「構造」といってよいであろう――の文学的表現である。底辺の人々の風俗、会社組織を通じての本国との繋がり、日本企業で起こる罷業、革命運動、人間同士の交際などが複雑に組み合わされ、全体が構成される。参木(主要人物の1人)は、「もう十年日本へ帰ったことがない。その間、彼は銀行の格子の中で、専務の食った預金の穴をペン先で縫わされていただけだった。」しかし、彼は専務の悪行を暴き、会社を首になり、明日からの生活の見通しさえ立たない。日本にも帰れない。なぜなら、「どこの国でも同じように、この中国の植民地へ集まっている者は、本国へ帰れば、全く生活の方法がなくなってしまっていた」からだ。さらに、「彼は自分の上役を憎むことが、ここでは彼自身の母国を憎んでいるのと同様な結果になるということについては忘れていた。しかも、母国を認めずして上海でなし得る日本人の行動は、乞食と売春婦以外にはないのであった。」こうした状況で、日本の「陸戦隊」が上陸することになる。彼(参木)らは否応なく過酷な選択を迫られることになるだろう。
5.価値横光にとっての価値:真理(truth)『紋章』:真理を追究する科学技術者の社会的存在のあり方を描く。「『観念の世界』(小説)と『現実の世界』(素材)とを繋いでいるのが、彼[横光]の発明した『私』という第四人称の眼である。」(中村真一郎)川端にとっての価値:美(beauty)『雪国』:「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」「雪国」は川端にとって美の象徴であり、その表現には特殊の工夫が必要であった。駒子にはモデルがあったが、葉子は架空の人物であり、その造形に重要な意味が含まれていよう。末尾の火事は戦争のメタファーであり、その中での葉子の被災には横光の運命が投影されているように思える。『千羽鶴』:「私の小説『千羽鶴』は、日本の茶の心と形の美しさを書いたと読まれるのは誤りで、今の世間に俗悪となった茶、それに疑ひと警めを向けた、むしろ否定の作品なのです。」(ノーベル賞受賞講演『美しい日本の私―その序説』1969)
6.なぜ「『敗戦』文学」なのか 戦争文学としての横光・川端文学の特質は何か。明示的または陰伏的に、そこには構造がある。ゆえに、それは「敗戦」文学と特徴付けられる。戦争をなぜ回避し得なかったのか、なぜ敗北したのかという問いに対し、構造の分析によりその回答を見出しうるからだ。

和解のプロセスとメカニズム

発表者 松井ケティ

2023年5月21日(日)


東アジアの平和創造という現代が直面する喫緊の課題において、たとえば韓国における従軍慰安婦に見られるように、そこには身体的・精神的な深い傷痕がある。現代における平和の創造のためにはこうした過去のトラウマをいかに乗り越えるかが重要である。和解はいくつかのステップを踏んで行われる。・真実を明らかにする・加害者による謝罪・被害者による赦し・共感の生成・償い
いくつかの注意点の指摘があった。このプロセスはDPT(診断・予後・治療)の過程そのものである。この過程は持続的な対話(sustained dialogue)によって行われる。人種差別のような集団的謝罪が問題になる場合、謝罪しやすい環境をいかに作り出すかが重要となってくる。謝罪がいかに赦しにつながるか。“I apology.”と“I’m sorry.”との差は大きい。謝罪・赦しと和解とは異なるプロセスであると考える。すなわち、和解には解放という要素が入ってくる。
要約すると以上のようである。これを頭で理解するのはなかなか難しい。しかし報告者の語り口からは頭での理解を超えた何か心を揺さぶられるものが伝わってきたことをここに書いておきたい。

(まとめ 藤田明史)

各自が考える平和研究(平和教育も含む)の課題を出し合ってブレーンストーミングしよう
2023年26日(日)
当日は、各参加者から3つの課題を出してもらい、いくつかのテーマについて自由に討論しました。活発な意見が出て、充実した時間を共有できました。そのまとめをどうしようかと考えているとき、参加者の具体的な3つの課題の底に1つの問題意識があることに気付き、私なりにそれを言葉として明示し、全体を次のようにまとめてみました。
〇国ではなく人が主人公 ・北東アジア(日中韓)共通平和教育プログラムの重点をどこに置くか ・国境とは何か ・市民的抵抗とは何か
〇生活のなかに平和を作る ・平和の理論と実践が一体化していないのはなぜ? ・戦争はどこから生まれるのだろう ・人間関係のあり方の中に課題があるのでは
〇平和に向かう潜在意識の開発 ・構造的暴力が具体的な暴力の行動となるメカニズムの探究 ・マスメディアは人々の潜在意識をどのように戦争に利用するか ・動物・植物・環境・地球への欲求概念の拡張と欲求間対立の転換
〇平和はどのように生まれるか ・平和ジャーナリズムの探究 ・試行錯誤の重要性 ・学校の中の社会と社会の中の学校
〇教育と発明・発見 ・平和教育をいま起きている問題にいかにつなげるか ・生徒より教師の学びが大事 ・授業中の子供の表情が暗いのはなぜ?
〇ゲゼルシャフトからゲマインシャフトへ ・城と平和 ・桜と平和 ・温泉と平和
〇地域共同体はどのように生まれるか ・ガルトゥングがthe Leif Eiriksson Peace Award 2022を受賞した意味は ・ゴルバチョフの「欧州共通の家」演説(1989.7.6)がストラスブールで行われたのはなぜ ・社会主義的(あるいは共産主義的)人間とはどのような人間類型?

(まとめ 藤田明史)

自由討論『ウクライナ問題の明るい未来』

発題者:藤田明史、野島大輔

2023年1月22日(日)

ピースデポ『脱軍備・平和レポート』の最新号(第20号2023.4.1発行)では、「ロシアのウクライナ侵略から1年の今」と題する記事で国連総会・ロシア・米国・中国の現在の立ち位置を確認しています。私はその内、ロシアの分を担当し、「プーチン大統領の年次教書演説」(2023.2.21)の内容を紹介しました。以下はその後半部分の引用です。最後の数行は私の価値観がとくに濃厚に表現されていて、結果的に、この研究会で私が話したことの要約にもなっているので、ここに掲載することにしました(藤田)。

演説のより重要な側面は、ロシア社会の現状の評価、文化・政治・経済・科学技術・教育の今後のあり方への言及である。計画経済の破綻に続く1990年代のカオスにおいて、ロシアは市場経済システムに舵を切り替えた。それは「概ね正しい行動であった」。結果はどうか。ロシアは石油、天然ガスなど原材料の供給国となった。富裕層は資本を大邸宅やヨットなど外国での奢侈的消費に充てた。しかし彼らはせいぜい「二流の異邦人」である。ここから自国への生産的投資の必要性、そのためのインフラ開発が強調される。ここでは高等教育の重要性を述べた箇所を引用しよう。「ここで我々が必要とするのは、ソビエト教育システムの最良のものと最近数十年の経験との総合である。」「戦争という学校は何ものにも代え難い」と戦争の悲惨をプーチンは糊塗する。ここに彼のジレンマがある。しかし、ここにこそ現状を打開する鍵が潜んでいるともいえよう。

トランセンドと私

発表者:松本まこと

2022年11月20日(日)

松本孚さんはトランセンド研究会の設立初期からの会員である。これまで私は松本さんと個人的に話したことがあるものの、トランセンドに関わる彼の思想をかなり体系的に聴いたのは今回が初めてである。「私とトランセンド」と題する報告は2部から構成され、第1部は「コンフリクト自分史」、第2部は「トランセンドの明るい未来――妄想的論文テーマ集」というものであり、とても興味深い内容であった。

 第1部では、自身の生き様に関わるコンフリクトを年代順に列挙した上で、その各特徴が示された。1940年代は父母の夫婦喧嘩、1960年代は学園紛争とその中で実行した内ゲバ予防行動、1970年代は、集団精神療法におけるメンバー間対立と中立的リーダーシップの役割、とくに山谷(東京のスラム街)老人クラブにおいてケアや健康増進に関わる集団間コンフリクトを集団間の共通の目標を見出すことによって解決した実践経験。1980年代に入り、まず、人間の欲求対立克服のための生活実践として主体的にコミューン運動を始めた。この中で、ユートピア・コミューンにおいてもコンフリクトがあること、たとえば、第2世代の問題すなわち親子間のコンフリクトなどの存在を知った。こうした実践において「怒り」の処理が大きな課題であるとの気付きがあった。非暴力トレーニングの受講を通じて紛争解決法(conflict resolution)の考えを知り、日本平和学会に入り文献を通じてガルトゥングの存在を知った。この時期には、専門外の課目の講義を強いられるという人権を無視した学内における構造的暴力を体験した。そのため胃潰瘍になったが、野口整体で救われた。また、トマス・ゴードンの「勝敗無し」の考えに共感した。1990年代には転職を経験し、新たなコンフリクトに直面したが、第三者に近い人を仲介者に解決を図った。トランセンド研究会に入会し、各地で開かれたワークショップに積極的に参加し、実際のガルトゥングに出会った。2000年代にはコンフリクトの事例研究の重要性を痛感し、「コンフリクト事例研究会」を立ち上げた。コロナ等でいまは休会中だが、また再開したい。いま家族の介護の問題に直面し、介護コンフリクトの奥深い困難さを痛感している。そこには、連続的欲求不満による「怒り」がある。また、殺意による介護殺人の可能性、すなわち、介護者と被介護者が孤立することの危険性がある。こうした深刻なコンフリクトの解決法として「ゆっくり息を吐く」ことの有効性を知った。

 第2部では、「妄想的論文テーマ集」としてトランセンドの明るい未来を作るための10のテーマが示された。① 和解のプロセスの脳生理学的研究、② 和解プロセスの人間と動物の比較、③ PCAGIP法を組み込んだコンフリクト事例研究の構想、④ 「無意識化による苛め仮説」の検討、⑤ 近代西洋医学と自然治癒力中心の健康法とのコンフリクトの超越、⑥ 国境なき紛争転換団(ピースワーカーの世界組織)の構想、⑦ AIを使ったコンフリクト転換の追究と実践、⑧ 集団潜在意識教育法の開発、⑨ フィクションの活用、および⑩ 個人ベースの「潜在意識教育」の大集団への拡張、である。

 最後に、平和の創造において、社会システムの変革ではどうしてももれる欲求がある。世界共通のルールというものができるだろうか? 基本的ニーズという場合、人間のニーズだけではなく、動物・植物のニーズ、さらには地球のニーズまでも含めた、ニーズ概念の拡張が必要ではないか?

との基本的な問題提起があった。松本さんのいう「妄想」とは「理性+創造性」を意味しているように私には思われた。

 今回、会員以外の2名の大学生が参加し、彼女らも加わり活発な議論が行われた。

(まとめ 藤田明史)

トランセンドと私 ー サボナと教材

発表者:室井美稚子

2022年9月25日(日)

内容は後日掲載

トランセンドと私――教育と向き合って

発表者:石黒正員

2022年7月10日(日)

報告者の石黒さんはかなり初期からのトランセンド研究会のメンバーである。現在、中学の教員(非常勤)をされている。任期は今期までで、来年からはどうなるか・どうするか、不安定な状況にあるとのことだ。報告は副題に「教育と向き合って」とあるように、今までの自分の在り方、すなわち学習者(幼稚園・小・中・高)→研究者(大学・大学院)→教育者(教員)という変遷に即して「教育とは何か」を考えるという、きわめてユニークなものであった。まず3~4歳の幼稚園の体験から語られ始めた。規律が厳しく、反抗すると体罰があり、「幼稚園とは大変なところ」との印象をもった。おそらくこれが「教育」に対する報告者の「原体験」であるようだ。小・中・高を通じて学校とは権威・権力が支配しているところであった。大学では人権とは何かを考えるため法律学を勉強した。また戦争に関わって国際法に関心をもった。こういうときガルトゥング理論に出会った。大学を卒業して一時、社会人となった(これについての具体的な言及はなかった)。大学院に入り直し、教育社会学を専攻し、「管理教育」について修士論文を書いた。高校教員を経て、さらに教職大学院に入り、2年間の教育実習を行い、そしていま、中学の教育現場で社会科を教えている。教育内容に関して文科省の指導要領と自分の考える社会科学の狭間にあって悩むことが多い。つまり、高度な内容をいかに生徒が分かるように教えるか? 最近、アニメ『クリスマスのオフィスにて――3つの暴力~見える暴力 見えない暴力』(ビープロダクション)を生徒に見せた。「軍隊制度の維持は暴力である」といった一節に対して、1人の生徒が強烈な批判を書いてきた。生徒が真剣にこの論点について向き合った結果であろう。しかし、このことをどう考えるべきなのだろう。ここには多くの問題が含まれているだろう。

報告にたいして多くのコメント・質問が出された。ここでは3点について書いておこう。

・現状の小・中・高の教育体制は構造的暴力と言えるのではないか。

・教師と生徒間の対話が重要ではないか。対話はいかにして可能となるのか。

・アニメの内容に反発した生徒は本当のところ対話を求めているのではないだろうか。

文責:藤田明史

ウクライナでの武力紛争の、トランセンド法を用いた分析の試み

発題:野島 大輔(トランセンド研究会理事)、藤田 明史(トランセンド研究会共同代表)

2022.5.29

次号『トランセンド研究』第18巻第1号(2022年9月刊予定)に報告内容の完成版を掲載する予定。

私とトランセンド ―― 文化的暴力は変えられる 18年間の人権教育から学んだこと

報告者:武市秀男

2022年5月22日(日)

概略:人権弁論大会の取り組みを通じて、生徒自身が学校や社会との関係を問い直す長年の実践活動。

校外だけの取り組みが充実してきただけでなく、校内でも「いじめ」の調査などを積極的に行ない一定の効果が見られた。

私とトランセンド活動

報告者:松井ケティ

2022年2月26日(土)

松井ケティさんを知らない人も、アニメ「みんながHappyになる方法」に出てくる、困っている人たちの間にどこからか現れるキャシー先生だといえば、知っている人は多いに違いない。今回のトランセンド学習会にも、事前に依頼していたものの、どこからか現れて、「私の話を聴けば、元気になるよ」と言って、私たちに話してくれた。ロシアのウクライナ侵攻の報道にみんながショックを受けていた、ちょうどその時だったから。

 私の正式な名前はKathy Ramos Matsui、横浜に生まれた。父はフィリピン系米国人、US Navy Civilianとしてベトナム戦争に参加した。 母は日本人。私は、横浜にあるサンモール・インターナショナルスクール、今年創立150周年を迎えるカトリック系の学校に通った。ベトナム戦争のドキュメンタリー映画を見たり、米軍基地内の病院で慰問のためにクリスマス・キャロルを歌ったり、高校生のときは基地内のデパートでミッドウェイ航空母艦の乗組員の奥さんたちとバイトをしたりした。大学はハワイのシャミナード大学に入り、上智大学に編入学し、Business Administration and Economicsを学んだ。そこにもベトナム戦争で精神的に変調を来したクラスメートがいた。生活の中で私は戦争の悲惨さを身近に感じ、そこから平和に関心をもったのだと思う。そして清泉女子大学の非常勤講師となり、コロンビア大学で英語教授法を学んだ。学位はワシントン州にあるゴンザガ大学から「謝罪」(Apology)と「赦し」(Forgiveness)をテーマにPh.D.を取得した。ハワイでの平和教育のワークショップで知遇を得ていたリアドンの包括的平和教育の理念を生かすため、清泉女子大学では全国で1つしかない地球市民学科の立ち上げに参加した。ガルトゥングとは京都YWCAの「ほーぽのぽの会」で初めて出会った。Conflict Resolutionの概念は以前から知っていたけれどConflict Transformation のアイデアは私には全く新しいものだったので、彼の講演会やワークショップにはできるだけ参加するように努めた。これまでの学びを基礎にアウトプットとして私は様々な実践を行っている。

・Seisen University(清泉女子大学):Understanding Conflict and Peace, Negotiation and Dialogue

・GPPAC(「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ」Global Partnership for Prevention of Armed Conflict):Peace Education Working Groupとして2019年にウクライナの小学校に行った。先生たちはCulture of Good Neighborhoodというプロジェクトを立ち上げていたのに・・・。

・NARPI(「東北アジア平和構築インスティテュート」Northeast Asia Reginal Peacebuilding Institute): Theory and Practice of Peace Education, Conflict Transformation in Organization

・APCEIC(「国際理解教育のためのアジア太平洋センター」Asia Pacific Center of Education for International Understanding)

・WCRP(「世界宗教者平和会議」World Conference of Religions for Peace):Reconciliation and Education Task Force

 要は一人一人が地球市民になって考え行動すること、武力ではなく非暴力で現状を乗り越えようと努力すること。そうすれば、「これしかない」なんてありえない。たくさんの面白いアイデアがでてくるよ。元気を出して! またね!

文責:藤田明史

『トランセンド研究会』の20年を振り返る

発題者:いとうたけひこ

2021年12月26日(日)

トランセンド法については、2000年頃に私は平和学者ヨハン・ガルトゥングに出会い、紛争転換法であるトランセンド法の日本における普及に協力するようになった。それは、1998年に大阪と京都で開催された第3回国際平和博物館会議がきっかけだったと思う。ガルトゥングが「平和とは、戦争のない状態ではなく、暴力のない状態」と規定し、「積極的平和」「消極的平和」の概念を提唱していたことは知っていた。しかし、紛争解決の著作と実践と訓練を行なっているとは知らなかった。そのときに出会ったのは、紛争転換(紛争解決)理論である、「トランセンド法」であった。トランセンド法とは紛争解決の手法であり、対話を通して双方の目標や状況を理解し共感し、対立を非暴力的かつ創造的に良い方向に転換することを目指す。本人から手渡された国連職員のトレーニングマニュアルを早速翻訳・解説したブックレットを2000年に出した。このときはまだトランセンドという名前は定着しておらず、「超越法」という訳語を当てていた。この時期ガルトゥングは、京都に住み、立命館大学で教えていたので、日本各地でトランセンド講習会を行うことができた。「平和の文化をきずく会」とタイアップしてトレーニングを実施した場合も多かった。それ以来、トランセンド法を以下のように紹介してきている。

R076 ヨハン・ガルトゥング 伊藤武彦(編) 奥本京子(訳) (2000). 平和的手段による紛争の転換:超越法 平和文化

R085 伊藤武彦 (2003). トランセンド法入門<理論>トランセンド法とは ヨハン・ガルトゥング&藤田明史(編) ガルトウング平和学入門 法律文化社,Pp.18-23.

R087 伊藤武彦 (2004). 参加体験報告 ルーマニア平和研究所(PATRIR)での非暴力ワークショップ参加報告 トランセンド研究 2, 64-66. 

R089 井上 孝代 (2005). コンフリクト転換のカウンセリング:対人的問題解決の基礎 (マクロ・カウンセリング実践シリーズ2)  

R117 藤田明史・伊藤武彦・奥本京子・室井美稚子 (2009). 「トランセンド・グローバル・ミーティング:21世紀の平和構築」参加報告 トランセンド研究, 7(1), 1-9. 

R125 Galtung, J・いとうたけひこ(訳) (2010). 日本外交のもう一つの道:4つの具体的な提案 トランセンド研究, 8(1), 30-34. 

R151 いとうたけひこ (2012). トランセンドとは:アニメーション「Happyになる5つの方法」 平和教育アニメーションプロジェクト(編)みんながHappyになる方法 平和文化 Pp.27-32. 

R178 和久祥三・いとうたけひこ・井上孝代 (2014). コンフリクト転換を重視した地域医療再生の実践:地域医療教育におけるトランセンド法の意義 トランセンド研究, 12(1), 42-54.

 トランセンド法の普及・教育・研究・実践のために「トランセンド研究会(Transcend-Japan)」が結成された。2003年からは学術雑誌『トランセンド研究』も刊行され、私も現在までに累計14本の論文・記事を掲載した。

(いとうたけひこ)

日本における平和創造力を涵養する積極的平和教育の構築――平和教育実践者と紛争解決支援者の視点から

発表者:高部優子

10月24日(日)

今回の報告は、横浜国立大学に提出した高部の博士論文をもとにしている。

博士論文の目的は、ヨハン・ガルトゥングの新しい消極的平和・積極的平和概念(2007年、2012年)を用い、戦争の諸問題が中心となっている日本における狭義の平和教育の成果を継承しつつ、平和を創る力を涵養する積極的平和教育へと発展させるために、紛争解決を鍵概念とし、実践を通して積極的平和教育を構築することである。

まず、ガルトゥングなどの平和学の先行研究を踏まえ、積極的平和の構成要素である直接的平和・構造的平和・文化的平和が具体化されていないことを指摘した。また、包括的平和教育の提唱者であるベティ・リアドンの論考を踏まえ、日本の平和教育の課題を整理した。

それらの課題を克服するため、紛争解決のアニメーション教材を使用したアクション・リサーチを行い、トランセンド法を含む複数の紛争解決手法の導入を提案した。

次に、紛争解決の現場で働く人々へのインタビューを実施し、修正版グラウンデッドセオリーにより分析を行い、紛争解決の資質・能力について整理をし、日本の文脈で、具体的な直接的平和・構造的平和・文化的平和を示した。

実践分析は、積極的平和教育が実践されていると考えられる、東北アジア地域平和構築インスティテュート(NARPI)と日本平和学会・平和教育プロジェクト委員会の実践事例を分析した。そこからポジショナリティ論による権力性に対する批判的態度、平和・暴力概念、紛争概念を導入した積極的平和教育の目標や教育内容や方法、ファシリテーターの重要性など、積極的平和教育の在り方について提示した。


報告後、参加者から、修正版グラウンデッドセオリーや社会的構成主義についての質問が出され、文化的暴力についての議論などを行った。

また、積極的平和教育は、従来の平和教育を継承していると言いつつも、溝が埋められていない、という指摘もあった。それは平和教育実践と平和教育研究との溝でもある。今後、実践交流を行うなどの方向性も示された。 

(高部優子)

「小学六年生に日本軍『慰安婦』問題を教育する意味」 

発表者:藤田康郎

2021年8月22日(日)

報告者の藤田康郎はトランセンド研究会の新会員である。和光小学校の教員を辞し、和光大学大学院に入り、現在「和光小学校での子どもの総合学習『沖縄』について考える」とのテーマで研究活動を始めている。今回その一環として上記テーマでの報告があった。

報告者には、小学校教育において性教育と平和教育をいかに結合するか、という大きな問題意識があり、その具体的な実践として2021年3月10日と11日に、小学六年生を対象に、性教育と平和教育の結節点として日本軍「慰安婦」問題が取り上げられ、授業が行われた。教材としては日中韓3カ国で出版されている絵本『花ばぁば』(クォン・ユンドク絵・文、初版2010年)が用いられた。授業後に受講生徒を対象にアンケートが行われ、和光大学の伊藤武彦教授の指導の下にアンケート結果についてテキスト・マイニング分析が行われ、その知見が紹介された。

テーマ設定自体に様々な問題要因が含まれているため、当然のことながら様々な意見が出された。書記の特権を行使して、私見を1つ述べさせてもらえば、それは、加害(者)・被害(者)を超えるより広いかつ深い地平がここから開ける予感がする、ということである。

本報告の内容は、次号『トランセンド研究』(第17巻第2号、2021年11月発行予定)に藤田康郎・伊藤武彦の共著論文として発表される予定である。

なお、今回の研究会には「トランセンド研究会」会員以外の方1名の参加があった。

(まとめ 藤田明史)

「アメリカ心理学会投稿マニュアル第7版(2020)の新基準JARS:質的研究者VS量的研究者の和解と連携のために」 

発表者:いとうたけひこ(和光大学)

2021年6月27日(日)

概要:アメリカ心理学会は、Publication Manual第7版(2020)(以下、APAマニュアル)において、論文投稿者と査読者に向け画期的な提案を行いました。APAマニュアルは、心理学のみならず、論文形式の標準的な規範として、応用言語学・英語教育学を含め、様々な学術誌で採用されています。一般に、質的研究論文を投稿すると、査読者の一人は、質的研究方法の専門家で、もう一人の査読者は、その分野の専門家という組み合わせが多いです。後者が量的研究しか経験がない場合、量的研究のパラダイムで見当外れな査読をし、その結果、不当な査読コメントにより、投稿者が修正・再投稿を諦めざるを得ず、泣き寝入りすることもあります。これまで、質的研究と量的研究の間には、深くて暗い川が流れていたのです。 

 両者の橋渡しとして、第7版のAPAマニュアルでは、Journal Article Reporting Standards(JARS)という新しい基準が設置されました。この基準では、量的研究法、質的研究法、混合研究法における投稿論文の書き方及び査読者の心得が提案されています。JARSの意義は、3点あります。第一に、質的研究の論文執筆の作法が分かります。第二に、量的査読者の質的研究に対する枠組みが提案されています。第三に量的査読者による質的研究への不当な要求が抑制されます。 

 本発表では、質的研究がより公正に査読されるための強いツールを皆さまに紹介します。なお、発表者は心理学者で230本以上の論文を出版しています。本人はテキスト・マイニングを含む量的研究者ですが、質的研究者との共同研究も多数出版しています。

(いとうたけひこ)

『帝国主義の構造的理論』から現代を読む」 

発表者:藤田明史

2021年418日(日)

ガルトゥング論文「帝国主義の構造的理論」(1971)と現代の諸問題をどう結び付けるのかが報告の主旨でしたが、私は現代における帝国主義と戦争とのつながりを取り上げました。というのは、昨年秋の平和学会で「山本宣治『戦争の生物学』の現代的意義」に関する報告をして以来、そこで述べられている「一般の戦争なるもの」と「滅絶戦争」との関連の問題がずっと気になっていて、この問題と「帝国主義の構造的理論」の分析とをつないで考えることができるのではないかと思い始めたからです。資料の第7章、第8章、そして図3が現時点での私が考えたことを示しています。この点についてさらに考えを深める必要を感じています。

ミーティングでは様々な指摘や問題点を出していただきました。これを踏まえて元の資料に図4「多帝国の世界における可能な諸関連」を付加しました。4章「帝国主義の定義」では最も簡単な1center nation-1periphery nationのケースが分析されていますが、もちろん論文ではその拡張についても論じられています。現代においてたとえば米国・中国・日本を考えた場合、その関連は図4のdに近いと思います。これをもって今回のミーティングの報告とします。

(まとめ 藤田明史)

利益相反(conflict of interest)の観点からコロナ問題を考える」 

発表者:伊藤武彦

2021.3.21

 まず、利益相反の定義が示された。ここでは藤田が議論の中で少し紹介した『応用倫理学事典』(加藤尚武編集、丸善株式会社、2008)から次の簡潔な定義を示そう。概ね報告において紹介された様々な事例を包括していると思えるからである。「利益相反(コンフリクト・オブ・インタレスト)とは、特定の人や集団に対する個人の義務が、当人の自己利益と衝突することである。」報告において多くの具体例が示された。

・官僚が利害関係者から受ける接待。

・産学共同の下、研究者が企業の利益に引きずられる傾向が一般であること。極端なケースとしては、論文におけるデータの改ざん、卑近な例としてはランチョンセミナー(タダ飯付きの講演会)。

利益相反自体は悪ではない。それを隠蔽することが悪である。⇒筆頭報告者のCIA表示など(しかし、これには反論があった)

以上の議論を受け、新型コロナのワクチン接種に関して次の2つの問いが提出され、参加者から様々な意見が出された。

Q1:「副作用」と「副反応」の違いは?

Q2:あなたはワクチンを受けますか?

(まとめ 藤田明史)

「当事者から行為者へ――構造的紛争と行為者紛争との関連

発表者:藤田明史

2021.2.22

1 平和の方程式

ガルトゥング平和学は、(ⅰ)暴力・平和論(暴力の否定としての平和)、(ⅱ)紛争の平和的転換論の2つの柱から構成されている。この式は、平和の定義ではなく、「平和の方程式」である。すなわち、(ⅰ)による「平和」と(ⅱ)による「平和」を同じものとして等置しているのである。

2 暴力の定義と形態

直接的暴力(DV)は定義から「意図的」(intended)であり、構造的暴力は「非意図的」(unintended)である。この「意図的」・「非意図的」と、3章で述べる平和的紛争転換(PCT)でのアクターがゴールを追求する際の「意識的」(with consciousness)とは異なる次元のものである。両者を混同してはいけない。暴力の三角形は3つの暴力間の相互関係を示す。

3 紛争の定義と要素

紛争の定義そのものには暴力の要素はまったく含まれていないことに留意すべきである。

4 構造的紛争とは何か

ここでは構造的紛争の定義を述べた。当然、構造的紛争(structural conflict)と行為者紛争(actor conflict)との相互移行が問題となる。

5 当事者(party)から行為者(actor)へ

ここでは報告者のイメージを描いてみた。目前の利害(interest)に導かれてひたすら行進する群れ(parties)から個人(actors)がいかに方向転換し群れから離脱するか? これは個人の内面と社会のシステムの両者に関わる複雑な過程である。これをいかに表現するかは平和学の課題であろう。

ここではそのような過程を文学として表現した一例として武田泰淳『審判』(1947)を紹介した。終戦直後の国際都市上海。不幸な一青年の物語。日本への帰国が始まるなかで、彼は婚約を破棄してまで中国に留まる決意をする。戦闘での殺人ではなく、彼だけが知っている不必要な殺人を犯したことへの罪の意識から。

(まとめ 藤田明史)

第2回「戦略的コンフリクト変容でトランセンドを実践する――特に傷ついた社会の修復的再生――水俣・福島そしてコロナ分断に共通することを見据えて」 

石原明子

2021.1.25

第1回「現代において非暴力による社会変革は可能か――山本宣治『戦争の生物学』から考える」 

藤田明史

2020.12.28